鎌倉宮ホームページ
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鎌倉宮社紋最新情報 (平成21年 4月 1日 更新しました)

鎌倉宮ホームページは3月中旬頃にリニューアル致します.

 鎌倉宮でのご祈祷・ご祈願は当日受付順にてご奉仕しています。
  事前予約は行っておりません。ご了承願います。
                                
 
 
 拝殿前には、鎌倉宮の伝統とも言える獅子頭守
 が参拝者の皆さんを迎えてくれます。
 ご祭神の護良親王が戦の時に兜の中に獅子頭
 の小さなお守りを忍ばせて自らの無事を祈った
 事が由縁となっています。
 鎌倉宮の創建当初からのお守りです。

鎌倉宮社紋 祭典諸行事予定

 ホームページ公開(平成17年 6月 1日~)
 平成22年
 6月 1日  ホームページ開設5周年です

平成22年
3月 1 日 月首祭        10時より
3月 13日 建武中興記念祭     10時より
3月 20日 月次祭          10時より


   (上記の祭典は本殿又は儀式殿にて)

 3月14日   骨董市 7時頃より17時頃まで

 3月14日   EM朝市 8時よりお昼頃まで

          
        (上記は境内にて開催)

                

鎌倉宮社紋 境内の植物暦

 ◎おおよその開花・紅葉時期です。
12月下旬~2月上旬  河津桜
 2月中旬~3月上旬  ウメ(白梅・紅梅)
 3月上旬~3月中旬  ヤエツバキ
 3月中旬~3月下旬  小賀玉(オガタマ)
 3月下旬~4月上旬  オオシマヤマザクラ
 4月上旬~4月中旬  ソメイヨシノ
 4月中旬~4月下旬  ヤエザクラ
 4月下旬~5月上旬  ふじ
 5月中旬~6月上旬  モミジ
 6月中旬~7月上旬  紫陽花
 7月上旬~7月下旬  桔梗(キキョウ)
 7月中旬~8月下旬  ヤブミョウガ
 9月上旬~9月中旬  カリガネソウ
 9月中旬~9月下旬  彼岸花
10月上旬~10月中旬 キンモクセイ
11月下旬~12月下旬 モミジ紅葉

ご本殿の河津桜が咲き始めました.
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鎌倉宮社紋 御由緒

  鎌倉宮は、大塔宮(おおとうのみや) 護良親王(もりながしんのう)をお(まつ)りする神社です。
  護良親王(もりながしんのう)延慶(えんぎょう)元年(1308年)に後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の皇子としてご誕生になりました。
  6歳の時に京都の三千院(さんぜんいん)にお入りになりますが、11歳で比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)に入室し、尊雲法親王(そんうんほっしんのう)
  呼ばれました。また、大塔宮(おおとうのみや)とも呼ばれました。
  20歳にして天台座主(てんだいざす)となられます。
  当時、鎌倉幕府の専横な政治に、父帝の後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は国家の荒廃を憂いられ、
  親王と共に元弘(げんこう)元年(1331年)6月、比叡山にて討幕の挙兵をする手筈でした。
  しかし、この計画は幕府に知るところとなり天皇は捕らえられ、隠岐(おき)配流(はいる)となります。
  親王は還俗(げんぞく)して、名を護良(もりなが)と改め、天皇の代わりとなって楠木正成(くすのきまさしげ)らと、
  幾多の苦戦にも屈せず機知を持った戦で大群を吉野城や千早城に引きつけました。
  この間にも親王の討幕を促した令旨(りょうじ)に各地の武士が次々と挙兵し、
  中でも足利高氏(あしかがたかうじ)赤松則村(あかまつのりむら)らが六波羅探題(ろくはらたんだい)を落とし、また新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉に攻め込み、
  鎌倉幕府は北条一族と共に滅びます。
  後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は京都に還御(かんぎょ)され、親王はこの功により兵部卿(ひょうぶきょう)征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となられます。
  しかし高氏は征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)を欲し、諸国の武士へ自らが武家の棟梁であることを誇示した為、
  親王は高氏による幕府擁立を危惧し、兵を集めます。
  ところが、逆に高氏の奸策(かんさく)に遭い捕らえられ、鎌倉 東光寺(とうこうじ)土牢(つちろう)
  幽閉されます。建武(けんむ)元年(1334年)の11月15日の事です。
  建武2年(1335年)7月23日 残党を集め鎌倉に攻め入った北条時行(ほうじょうときゆき)の軍に破れた高氏の弟、
  足利直義(あしかがただよし)は逃れる際に、家臣 淵辺義博(ふちべのよしひろ)へ親王暗殺を命じました。
  義博の凶刃に対して、親王は9ヶ月をも幽閉された御身では戦う事も出きず、御年わずか28歳という
  若さでその苦闘の生涯を(こう)じられました。
  明治2年2月、明治天皇は建武中興に尽くされ、非業の最期を遂げられた護良親王(もりながしんのう)に対して、
  遥かに想いを馳せられ、親王の御遺志を高く称え、永久に伝えることを強く望まれました。
  親王終焉の地、東光寺跡に神社造営のご勅命を発せられて、御自ら宮号を「鎌倉宮(かまくらぐう)」と名づけられ
  ました。こうして創建されたのが鎌倉宮なのです。
  なお、明治6年4月16日、明治天皇は鎌倉宮に行幸遊ばされました。
  本殿をお参りされ、土牢をご覧になり、その後境内の行在所でお休みをとられました。
  その行在所の跡が、現在の鎌倉宮宝物殿・儀式殿となっています。

 『古写真・絵葉書にみる鎌倉宮の歴史』のページ
 『兼務社のご案内』のページ
 

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