文月朔日
令和三年文月朔日/望日 歌合
歌合とは…
歌合(うたあわせ) とは、平安の昔より歌詠みを左右に分け、和歌の優劣を競った、清雅な競技です。
かつては雅な遊びに近いものでしたが、次第に歌詠みの矜持をかけた重いものとなります。
また、時代の変遷により、事前に題を出して歌を召し、実際に顔合わせすることのない形も多くなり、また時を超えて過去と現在の歌詠みによる和歌を番(つが)える『時代不合歌合』もあったのです。
鎌倉宮で御朱印を受けられた方々の心に、やさしく、うつくしい、『やまと言の葉』をご紹介したく、毎月二回、一日と十五日とに、古今の歌詠みたちによる秀歌と、当職の和歌とを番えています。
鎌倉宮第二十六代宮司 小岩裕一識
令和三年文月朔日歌合
左
夫木和歌抄 夏部二
五月雨も 月の行方は 知られけり
ひとむら白き 山の端の雲
従三位 世尊寺行能
右
平成三辛未歳
五月雨の はるゝ夕べの 風ぬるみ
結び定めぬ 短夜の夢
第二十六代 鎌倉宮宮司 小岩裕一
文月朔日の和歌
新暦の七月朔日は旧暦では五月半ば、まだまだ「五月雨」、つまり現代の「梅雨」の季節、王朝の人々もまた、中々降り止まぬ雨空を眺めていたのは、現代人と変わらぬ所だったのです。
さて、掲出の和歌は五月雨を詠んだ数々の歌の中でも出色の一首です。
五月雨の中でも、雲の中の白い光が、
月の場所を教えている…
詠み人の世尊寺行能は、天才歌人・藤原義孝の九代目、能書で知られた藤原行成の八代目の子孫にあたります。
この感覚の鋭い一首からも、義孝や行成の美的感覚の冴えが、行能にもしっかりと遺伝されていることが感じられます。
鎌倉宮第二十六代宮司 小岩裕一識
令和三年文月望日歌合
左
風雅和歌集 夏歌
衣手(に 涼しき風を 先立てて
曇りはじむる 夕立の雲
後鳥羽院宮内卿
右
平成四壬申歳
一筋の 稲妻落ちて 吹く風も
涼しくなりぬ 夏の夕暮
第二十六代 鎌倉宮宮司 小岩裕一
文月望日の和歌
七月も半ばとなると、いつしか雨も局地的、限定的に感じられるようになります。そして、ある日「夏の陽射し」が降り注ぐと、そのまま「真夏の到来」となることが常となりつつあります。
『真夏の暑さ』に正面から向き合う和歌は少なく、あらゆる角度から「涼」を演出するのが王朝和歌のならいでした。
さて、掲出の和歌は、真夏の午後の風景…いつの間にか曇り出し、夕立の雰囲気となってゆくさまを詠んだ一首です。
夕立の「後」を詠む歌人がほとんど全部な中で、詠み人の宮内卿は、あえて夕立の「前」に目を向け、「涼」をたたえた世界を、まるで一筆書きのように描いています。
後鳥羽院から才能を見込まれ、十代半ばから二十代前半の僅かな期間に活躍した『天才少女・若草の宮内卿』の面目躍如、八百年の時が過ぎた今も清新な一首です。
鎌倉宮第二十六代宮司 小岩裕一識
文月望日歌合
